中井設計展

2019.04.21(日)22:10

「好きな人がいます」


 今日は結構まじでどハマりしているアーティスト、君島大空さんのライブを東池袋のKAKALULUというカフェに見に行った。彼の音楽をこんな風にフラッと家から30分くらいの場所で、特に大きな段取りや予約無しで触れられるなんて、幸せ。友達の怜亜ちゃんと一緒に白く塗られた壁に並んで見たのだけれど、良すぎて脳汁過多で疲れてお腹いっぱいでもう音楽いいやってなったねって話した。ギターがすげえし歌も曲に合っているし、何より到達したい音楽のヴィジョンが垣間見れて、そういう想いに触れるたびに何度も「右の目から光が溢れ出して君を奪い去って」しまったよ。

「夜を抜けて」をやってくれって心の中で願ってたら、最後の曲で演奏してくれた。「あなたがどれほど美しいのかを僕は言いふらして回りたいな」って彼は歌うんだけど、震えませんか?好きと尊敬が入り混じった不安と優しさが、じっくりコトコト煮込まれたあなたへの想いがやっとこうやって既知の言葉として世に生まれていました。溢れてきてしまうよ。

 

 昨日はクリトリック・リスの日比谷野音のワンマンを観てきたんだ。パンツ一丁にテルミンとマイクだけで野音をいっぱいにしちゃうんだよ。高知に住んでるスギムファンのイチローくんに今こんな感じって写真送りつけながら見てて、スゲーもんを見てるんだっていうのを実感した。芸風とか関係ないんだよなって一緒に行った一二三さんと辛いタイ料理を食べた。


 そのあと夢を見たからそのことを書きたくて。幕張メッセかさいたまスーパーアリーナか、それくらいの規模でスギムさんのワンマンが行われたっていう夢で、その帰り道が舞台だった。一人で帰ろうとしていたら大好きな某「オ」グループの「カ」さんが何してんのって話しかけてきて。え?ってなるじゃないですか。中井設計でしょ?って。夢ですけどね?


荷物ここ置いといてスギムさんのパネルで写真撮ろうよって言うので撮ったんです。夏みたいに熱くて。そしたら同グループの「ハ」さんもウケるーとか叫びながら走ってきて、早くバス乗らねぇと取材間に合わねえよって手を取られてガラガラの大型のバスに乗ったんですよね。バスにかかってる路線図と自分のスマホのgooglemapを見比べながら、今オレたち千葉にいるけど埼玉近くまで行かなきゃいけないじゃんって目の前のバスの中に投影された3Dマップを操るわけです。でもそんなの関係ないんですよね。すでにオレたちの荷物はスギムさんのパネルの横に置きっぱなしなんですもの。財布も手帳もドラムスティックも全部アレに入ってる。やべぇポーチがねぇとか言うわけです。 でもそんなの関係ないんですよね。3人で、どこに向かっているわけでもないバスに乗ってる。後方の席で二人でビュンビュン過ぎ行く景色を見ながら、前方の「ハ」を呼んでみるんだけどヘッドホンをしているからか全然反応してくれなくて、半ば押し倒している状態でお互い見合わせて夢が終わったんです。飛んでゆく景色がまだ残像に残ったまま、自分の楽器に囲まれたいつもの部屋で目が覚めて、曇っている空を見ながら曇ってるなぁって思いながら、LINE返信のおはようの後に曇天の絵文字をつけたりして。




2019.4.09(火)03:19

「習慣」


 前回、ブログを書きたくて書きたくて仕方がないのにフォーマットが定まらないから紙のノートに書いてきた、なんて偉そうにのたまっていたが、あれから結局無印良品で買った無地のノートに私の雑記は殴り書きされている。今、したためると書きかけたが、「認める」と自動変換されたのでやめた。知らない漢字表記をちょちょいと載せる気分じゃない。


 「わたし、定時に帰ります」というドラマが今クールから始まると賑やかに宣伝がされている。「ハケンの品格」を思い出す。10月から最近まで、年末〜年度末の忙しさに翻弄されたてきたが、例外はあるものの定時近くには仕事を終わらせてきた。もっというと、定められた時間内でできる範疇の仕事をした。早く帰ってやりたいことがあるのだ。吉高由里子演じる主人公は、定時後に何をするのだろうか。定時なんて気にするような働き方をするから、9時5時の仕事だろなんてサラリーマンが舐められるのだ。この4月からニッポン放送のオールナイトニッポン0にテレビ東京のプロデューサー佐久間宣行さんが抜擢された。一般人だの素人だのただのサラリーマンじゃねぇかなどと揶揄が飛び交っていたが、第1回の放送は普段聞けないような話に溢れていて十二分に面白かった。オードリーの若林さんが好きなので、佐久間さんがレギュラーになったことを伝えた際「ニッポン放送やりますねぇ!」と面白がっていたというエピソードで若林さんをもっと好きになったし聴いてよかったと思った印象的なものだった。

というかテレビ東京のプロデューサーはただのサラリーマンではないが?

 

 と、忙しさを抜けてもヘロヘロになって帰ってきた私は楽器に触る気になれず寝てしまい、この時間に目が覚めた。街が寝静まっているのに自分だけ音を出すのも気が引ける気分のため、文章でも書こうと筆(フリクションペン)を取ったのだが、そういえばブログなんてものも持っていたと思い立ちこうして自分のパソコンを打っている。夜中にタイピングしたくなるような無垢材のローテーブルとソファ、それを窓際に配置したことが大きい。毛布をかぶりながらこうして文章を書いているとこんなことを書こうかなと想定していた内容と全く別のことが浮かんでくるから不思議だ。家具についてはとにかく持たない買わないを貫いていたが、部屋に大きな楽器が新しく配置され、これまで持て余していた空間に一気に制約がかかり、レイアウトがフィックスしてしまった。モノのない部屋での床に座りながらの生活も悪くなかったが、居心地がだいぶ変わってきたため、今の部屋のレイアウトにあう家具を購入したのだった。今週末は友人が五人もこの部屋に来る予定なので、ソファくらいはあった方が良いだろうということもある。私一人が生活できれば良いやというモノしか揃っておりませぬゆえ、今日は今週末に向けて新しい鍋や皿、膝の上に乗せるのにぴったりなクッション、めちゃくちゃになっている機材周りを整理するための電源タップまで買って帰ってきてしまった。我ながら浮かれている。音楽は音楽の部屋、生活は生活の部屋、と分けることができれば良いのだけれど、その気になれば夜中でも歌を歌える今の環境は十分贅沢なので、欲は欲を呼ぶなぁと思う。

 

 今月末に、ライブをする。今ドラムのレッスンに通っているのだが、その教室の発表会なのだ。好きに時間を使って遊んじゃってくださいというので、本当に好きにさせてもらう。そこで、全てのパートを一人で演奏しループさせ、展開のある曲をバンドサウンドで実現する一人バンドを演目として発表する予定だ。ドラムなんて始めてから2ヶ月くらいなのだが、自分の曲の気に入っているドラムフレーズがこんなに難しかったのかと実感しながら練習している。どうしてもこれが良いんだって思うことを練習するのは楽しい。ずっと楽器や歌だけ練習して生活したい。楽器さえ構えてしまえば延々とやっていられる。構えるまでが大変なんだけど。


 昔バイオリンの練習は嫌だったけど、結局歌や楽器の練習している時間が一番自分が満たされる。そしてたくさん練習したから褒めて欲しい。楽器の練習が小さい頃から「習慣」で、それは一生抜けないのだろう。習慣が途切れると気持ちが悪い、なるほどそれだ。私はそうやってできているとやっと言語化できた。ギターは下手な方がロックだが私は楽器の練習がしたいのだ。でもロックじゃないのは嫌なので全ての楽器を習得したら良いのでは、と思いつき、こうなってしまった。クリントイーストウッドの「運び屋」でも、似たような話が出てきたなぁ。 習慣か、それ以外なのだ。やめた方がいいな、という習慣ならやめる努力をすればいいが、あってもいいなと思える習慣なので手放さない。でもずっと音楽は夢かと思ってた。習慣とか忘れてブレイクスルーしたいなぁ。







2018.10.09(火)23:22

「中井設計展Ⅱ」


 私はルールが好きだ。

ルールやフォーマットの中でどうたち振る舞うか、それが楽しい。


 私は東京のド真ん中にある大きな設計事務所に通っている。平日は大体同じ時間に起きて最もシンプルなスーツと真っ白で極力スタンダードなシャツを着て、決まった電車に乗る。体幹を意識して猫背になりがちな背筋をピンと伸ばしながら毎日違った本を読む。座れたらラッキー。いつもいつの間にか猫背に戻っている。最近引っ越したので通勤時に乗り換えが無くなり、ますます読書に集中することができる。以前はApple Musicで毎週更新される新譜を聴きながら電車に揺られていたが、どんなに大きな音で音楽を流しても怒られない環境に住めるようになったため、電車での音楽鑑賞には興味がなくなってしまった。


 コンビニ人間(村田沙耶香著)という本を読み、その内容に驚嘆、そして共感し、中井設計展Ⅱというブログを作ろうと思いついた。コンビニ人間の主人公は幼い頃、どうやら自分は普通ではない考え方を持っているようだと母親や学校の先生の反応から察するが、なぜそれが普通ではないのかがどうしても理解できない。だが娘の異常行動や発言の尻拭いに母親が苦労していることに関しては不本意なので、彼女は極力異常を発しないように自分にとっての普通をつぐみながら生活する、というところからお話がはじまる。わざわざ自分を漂白するような生き方をしなければいけないというところから更に読み進めると、彼女はコンビニ空間をあるべき正常な状態に保つことに生きがいを感じていることがわかってくる。私はそこにひどく共感した。彼女がルールを守り空間の秩序を保っている時イキイキとしていたのだ。私も乱れた秩序を元に戻すのが好きだ。部屋の片付けなんかは最高だ。


 秩序は秩序でも上質なものを選びたい。例えばブログのフォーマット。色々なプラットフォームがあるが、いつ自分の選んだブログサービスが廃止になったり誰も使わなくなるかわからないものに、私の言葉を投下することなんてできない。SNSも手軽だが、文字数の制限や閲覧できるネットワークが限られたりするのが気にくわない。だからブログに書くようなことは10年ほど前からいつも持ち歩いている小さな手帳に書いていた。無印良品のB5サイズで罫線のない「無地」のノートをさらに2分割し、それをブログ代わりに使っていた。缶ジュースを買うような値段で数冊手に入る安価なノートに自分の感情や考えを書きなぐって過ごした。私はやっと気持ちを収めるフォーマットを手に入れたのだ。しかし数年前から無印良品からその商品は姿を消してしまった。似たような無地のノートは上質な紙で作られてしまい、束売りは罫線ありのもののみ。私の買い溜めしていたフォーマットは底をつき、書くことも極端に減ってしまった。

手書きの日記はいつか中井設計展をやるときに公開しようと思って大切にとってあった。時期は大体50歳くらいかしら、と思っていたのに最近あっけなくライブハウスで中井設計展を開催してしまい、物質的な展示はしないと決めたイベントだったので出さなかったが、常々考えていることを公の場に出したいという欲があるのはずっと変わらない。しかし恥ずかしいのだ、この自分のことをみて!気づいて!と言わんばかりのこの行動は赤ん坊が泣いているのと一緒。もっと上品な憂さ晴らしがあるはずだ。でもどうしても私は、口頭でうまく自分を表現できない。できないのだ。色々試したが無理なんじゃ。でも長文ならなんとかできそうだと気づいた。それは中井設計展の冒頭で晒した自叙伝を書くことが大変に楽しかったこと、またそれを読んでそれなりに喜んでくださる方が少しだけいたことが嬉しかったからだ。また、いつの日かの中井設計展で日記を晒そうという気は昔からあったことを自覚したことで、中井設計展というフォーマットで日記を公開すれば良いのだというアイデアを思いついた。それらの事情が重なり、私はついにウェブにログを記し始めることができている。


 初めてのワンマンライブを中井設計展とした。もう使ってしまったのだそのネーミングは。なのでブログは中井設計展Ⅱとする。永遠に続くホワイトウォールに日記が増え続けるイメージで作っていきたい。

 私はフォーマットの中で動くのが好きだ。ルールがないとやる気がでない。